ケネディ暗殺から50年:人生を変えられた4人の証言 - 私をニューヨークに連れて行って!

2013年11月23日

ケネディ暗殺から50年:人生を変えられた4人の証言

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 ほとんどの米国人にとって、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺からちょうど50年目となる22日は、米国を最も震撼させた歴史的事件の1つに数えられる当時の日々を今一度振り返る機会となる。

 1963年11月22日の事件に巻き込まれた人々――その日の朝、狙撃犯とされるリー・ハーベイ・オズワルド容疑者を職場まで車に乗せた同僚や、射殺の瞬間が記録されている「ザプルーダー・フィルム」を撮影したザプルーダーさんの家族など――にとって、暗殺事件はその後の人生を運命づける出来事となった。

 その日はまた、何がケネディ暗殺の背景にあるのかという果てない謎にとりつかれた人々にとって、絶えず意識される日となった。そういった人々の中には、昔の仲間にとっては残念なことだが、かつての陰謀論者で、現在はケネディ暗殺にまつわる博物館で館長を務めている人も含まれる。

 事件に巻き込まれた人たちの話を聞いてみよう。

ビュエル・ウェズレー・フレーザー氏:オズワルドを職場へ送った後、「私はとても怖かった」


 50年前、当時まだ10代だったビュエル・ウェズレー・フレーザーさんは職場まで同僚を車に乗せた。その親切が彼の人生を永遠に変えた。

 フレーザーさんが働くテキサス教科書倉庫のその同僚とは、リー・ハーベイ・オズワルドだった。ケネディ暗殺事件を検証するためにジョンソン大統領(当時)が設置したウォーレン委員会は後に、フレーザーさんが運転するシボレーベルエアの後部座席にオズワルドが置いた荷物の中には、容疑者自身が主張したようなカーテンレールは入っておらず、ケネディ大統領を殺害するために使ったライフルが入っていたと結論づけた。

 現在69歳のフレーザーさんは「あんなことが起こったとは、いまだに信じられないし、自分は完全に巻き込まれた」と話す。

 ケネディ大統領が射殺された当時を知る多くの米国人は、あの日、純真さをいくらか失ったと話す。だが、フレーザーさんにとって、失ったのはかなり個人的なものだった。

 フレーザーさんは倉庫ビルの前を過ぎていく大統領の車列を窓越しに見ていたことを覚えている。ジャクリーン夫人を見て「雑誌のライフに載った写真と同じくらいきれいだ」と思った。

 当時は「リー」という名前でしか知らなかったオズワルドがケネディ射殺後の混乱の中、歩きながらビルを去って群衆の中に消えていったことも覚えている。

 その日の夜、フレーザーさんはダラス署の警官に壁に押さえつけられた。オズワルドのことで何時間にもわたる取り調べを受け、その後、暗殺の共犯者であることを自白したとする書類に署名するよう言われた。彼はそれを拒否し、その後釈放された。

 (逮捕から2日後の)日曜日に、ダラスでナイトクラブを経営するジャック・ルビーによってオズワルドが射殺されるところをテレビの生中継で見ていたフレーザーさんは、その時に感じた恐怖を覚えている。彼自身も危険な目にあうのではないかと思ったからだ。

 フレーザーさんは「自分が想像できることよりも、はるかに大きな出来事だった。とても怖かった」と話す。

 フレーザーさんは前へ進んだが、別人になっていたと言う。その後の仕事がうまくいかなかったことを暗殺事件のせいにしているが、自身が親しみやすい人間ではなかったことも認めている。「人を信じるのが難しい」とフレーザーさんは話す。現在はダラス地区で車体部品店の運転手としてパートタイムで働いている。そして多くの米国人同様、1963年11月22日のことについて疑問を抱え続けている。

 オズワルドは、平日はダラスにあるボーディングハウス(食事付きの下宿)に住んでおり、週末はテキサス州アービングに住む妻、マリーナさんのところまで車に乗せてほしいとフレーザーさんに頼んでいた。妻の家はフレーザーさんの家に近かったからだ。だがその週は、木曜日にアービングまで乗せてほしいとフレーザーさんに頼み、金曜の朝に出勤のため姿を見せた。オズワルドはカーテンレールだという荷物を持っていた。フレーザーさんは、いまだにそれが嘘だったとは信じられないと言う。

 当時、オズワルドの妻と一緒に住んでいた女性、ルース・ペインさんはずいぶん前に、暗殺事件に関する公式な発表は理に適っていると結論づけた。オズワルドは殺害する能力があったし、すべての証拠が単独犯であることを示しているとペインさんは話す。

 カリフォルニア州在住で現在81歳のペインさんは、フレーザーさんの車でオズワルドが銃を運んだとウォーレン委員会が結論づけたことについて、フレーザーさんは感情的に消化できないのかもしれないと語る。

 学校専属の心理カウンセラーだったペインさんは「ビュエル(フレーザーさんのこと)がそういう拒絶の中にいることを本当にかわいそうに思う」と言う。アービングにあるペインさんの古い家は町によって改修され、今月、博物館として生まれ変わった。ペインさんは「これまでずっと、この件について話すことから逃れようとしてきた。でも、事実を受け入れようともしてきた」と述べている。

 フレーザーさんは、オズワルド容疑者が単独で大統領を殺害できたわけがないと今も確信している。複数の世論調査によると、多くの米国民も同じような意見で、暗殺は複数犯による企てに違いにないと考えている。AP通信が今月行った調査でも、59%が陰謀を信じていると回答した。

 フレーザーさんは「いつか米国民が真実を知るときがくればいいと思う」としながらも、彼自身も何が真実かはよく分からないとしている。

Miguel Bustillo

アレクサンドラ・ザプルーダー氏:象徴的なフィルムが一家に複雑な遺産を残す


 今は亡き祖父があの宿命的な26秒間をコダクロームフィルムに収めてから50年がたつが、人々はいまだにアレクサンドラ・ザプルーダーさん(44)に"あの"ザプルーダーかと尋ねてくる。

 エイブラハム・ザプルーダーさんのフィルムは家族の運命を一変させた。一家は数百万ドルを手に入れたものの、彼らの名前は米国史上最も悪名高い出来事の1つと結びつけられるようになってしまった。

 「フィルムや、それを取り巻く不思議で奇妙で風変わりな出来事に対する私の態度と感情は複雑だ」とアレクサンドラさん。彼女は今、ワシントンDC郊外で作家として暮らしている。

 アレクサンドラさんの祖父のエイブラハム・ザプルーダーさんはロシアからの移民で、ダラスで婦人服の仕立屋をしていた。ケネディ大統領の暗殺の瞬間をベル・アンド・ハウエル製の家庭用8ミリカメラで撮影したことで、極めて貴重な歴史的証拠を手にすることになった。

 しかし、エイブラハムさんとフィルム映像の関係は「幸せなものではなかった」とアレクサンドラさんは話す。ケネディ大統領の支持者であったエイブラハムさんは、フィルムがジャクリーン・ケネディ大統領夫人の悲しみを深めてしまったと感じていた。エイブラハムさんはあれ以来死ぬまで暗殺の悪夢にうなされ、カメラを使うことはめったになかったという。

 暗殺事件後、エイブラハムさんは警察当局の尋問を受け、メディアに追いかけ回された。エイブラハムさんはメディアが映像を利用することを懸念していた。しかし、結局15万ドルでライフ誌に映像の利用権を売り渡した。ライフ誌は当初、大統領の頭に弾丸が命中する陰惨な瞬間の写真は掲載しないと決めていた。

 「ザプルーダーフィルム」はやがて独り歩きを始める。75年にテレビの全国放送で無許可のコピー映像が放送されり、オリバー・ストーン監督が91年公開の映画「JFK」の中で映像を使用したりしたことで、映像への関心は急激に高まっていった。その頃までにはライフ誌が映像の使用権をザプルーダー家に1ドルで再び売り渡していた。

 連邦暗殺記録再評価委員会(ARRB)が97年、政府がオリジナルコピーを保管すべきと決定した。それには政府がザプルーダー家から市場価格でフィルムを買い取る必要があった。しかし、ザプルーダー家と政府は値段で折り合いが付かなかった。ザプルーダー家と司法省との仲裁のために提出された法的資料によると、ザプルーダー家は映像の複製権を付与することで年間約2万ドルを得ていた。司法省は99年、最終的にザプルーダー家に1600万ドルを支払った。

 ザプルーダー家は後にフィルムの著作権をケネディ大統領暗殺の記録を展示しているダラスのシックススフロア博物館に譲渡した。ザプルーダー家はこれまでフィルムについてメディアに詳しく話すことはめったになかったが、アレクサンドラさんは今年初め、暗殺50周年を記念した書籍向けに祖父について執筆することをライフ誌から依頼された。

 アレクサンドラさんによると、家族内でもフィルムについてあまり話すことはなかったという。エイブラハムさんは70年、アレクサンドラさんが生後10カ月のときに死去した。アレクサンドラさんは親戚や一家の友人に取材し、祖父の公式な証言を調べた結果、暗殺事件が祖父にいかに多くの苦悩を与えたかにようやく気がついた。

 アレクサンドラさんはやがて、ザプルーダーの名前につきまとう遺産を受け入れるようになった。

 アレクサンドラさんは「悲劇的な重荷だとは感じていない」とし、「それが私たちの人生の現実だ」と話す。

Ann Zimmerman

ゲーリー・マック氏:時間の経過と共に懐疑的な説を一蹴


 ゲーリー・マックさん(67)は、ケネディ大統領暗殺の背後にあるたくらみを暴くため、人生のほとんどを暗殺にまつわる官僚主義との闘いや、インスタント写真や警察記録の調査に費やしてきた。

 マックさんは現在、ダラスのシックススフロア博物館のキュレーターを務めている。同博物館は暗殺事件にかかわる記録をまとめている人たちの中でも中心的な役割を果たしている。マックさんは、後ろ暗い真実を示す証拠は一切ないと結論づけたことで、陰謀論者たちからは裏切り者とみなされている。

 マックさんは「ケネディ暗殺について研究する人たちは皆、何らかの影響を及ぼしたがっており、私もそうだった」としながらも、「しかし、私は客観性を取り戻し、もはや証拠を無視することはできなくなった」と話す。

 以前テキサス州北部でラジオ番組のディレクターを務めていたマックさんは70年代半ば、警察の銃撃音声記録の分析リポートを発表した。それは、草の茂った丘からさらにもう1発弾丸が放たれていた可能性があると下院暗殺特別委員会を納得させるのに役立った。

 マックさんの結論はその後、1982年に全米科学アカデミー(NAS)に認定された音響専門家による発砲の再現で、間違っていることが証明された。しかし、マックさんはそれでもひるまず、暗殺時に撮影されたポラロイド写真に飛びついた。この写真は狙撃者の場所でうずくまるバッジをつけた男性を写しているように見える。

 マックさんは1990年に事実無根だと考えた理論に再び焦点を向けた。当時、マックさんは保険請求書の調査員から暗殺関連の調査員に転向していたデービッド・ペリーさんとチームを組み、死亡したダラスの警官が2人目の狙撃者だったという主張を信用できないと判断していた。

 1994年にマックさんは、JFK暗殺の実行犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドが大統領を狙撃したのと同じビルに位置するシックス・フロア・ミュージーアムで働くようになった。マックさんは暗殺についての知識を利用して、狙撃とその影響についての口述記録や地元ニュースの記録など、4万5000点に上る同ミュージーアムの収集に役立てている。

 マックさんは現在、何が起こったかについてワレン・コミッションさんの説と他の複数の理論を紹介する上で一役買っている。陰謀を事実だと確信している人々の一部は、マックさんが本当はもっとよく知っているのにあっさり片付けている裏切り者だとみなしている。

 コーリション・オン・ポリティカル・アッサシネーションズという団体のエグゼクティブ・ディレクターを務めるジョン・ジャッジ氏は「彼は自分自身を裏切っている」と述べた。さらに、「彼は調査員で共謀関連の執筆もしている。そして博物館での職を得て、私たちに敵意を抱くようになった」と語った。

 マックさんは、今では、自分が支持できない暗殺理論を展開するのは気が進まないが、1963年11月22日に実際に何が起きたかについて疑問は持ち続けていると述べた。

 マックさんは「リー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行以上のことがあると今でも考えている」と語り、「証明できないだけだ」と続けた。

――Ann Zimmerman

ロバート・グローデン氏:年に一度の黙祷


 50年前、18歳の誕生日にケネディ大統領暗殺のテレビ報道に釘付けになったロバート・グローデンさんは、暗殺は陰謀だという確信を裏付けるために人生を費やしてきた。

 50周年に当たりテレビの報道陣がダラスに押し寄せるなか、グローデンさんはダラス市からのけ者にされているように感じている。ダラス市は22日、共謀説を唱える人々をディーレイプラザから締め出し、議論の余地のない暗殺記念日の式典を開催する。

 グローデンさんは「私の人生全部がケネディ大統領の死と結びついてきた」と話す。彼は22日に68歳の誕生日を迎える。その上で、「ケネディ氏は私が人生で初めて賞賛した政治家で、少なくとも真実を突き止める義務がある」と語った。

 米中央情報局(CIA)が暗殺に関与していたと確信しているグローデンさんは6冊の本を執筆している。中には、ニューヨークタイムズ紙のベストセラーになった「High Treason」も含まれている。

 ザプルーダー・フィルム(ダラスを訪問した大統領の車列をエイブラハム・ザプルーダーという婦人服メーカーの経営者がカラーで撮影した8 mmフィルム)についてのグローデンさんの調査は、1970年代後半に一部で喝采を浴びた。当時、彼は下院の暗殺に関する特別委員会のコンサルタントを務めていた。同委員会は、大統領がある陰謀の一部として殺害された公算が大きいと結論づけ、共謀説が高まることにつながった。

 しかし、グローデンさんの人生はそれ以降、とても輝かしいと言えるものではない。過去20年間、自分自身の理論を詳細に記した本やDVDを観光客に売り歩きながら、ほとんどディーレイプラザで生計を立ててきた。

 ダラス警察から80回以上にわたって違反チケットを切られ、物売りの取り締まりに引っかかり、無許可で商品を販売したとして投獄されたこともあった。裁判所はそのたびに米国憲法修正第1項の観点から罪状を認定しなかった。

 最近、妻を亡くしたグローデンさんには4人の成人した子供がいる。子供たちはみな、父親の熱意を支援している。フィラデルフィアで小売業界のマネジャーをしている息子のマイケルさん(32)は「父の成し遂げてきた仕事を極めて誇りに思っている。それは勇気のいることだ」と語った。

 ダラスは陰謀説を唱える物売りたちの取り締まりを緩めているが、グローデンさんは最近、ダラス市と別の戦いに巻き込まれた。抽選でチケットを獲得した5000人だけが参加できる22日の暗殺50周年式典のために、同市がディーレイプラザを乗っ取ったからだ。

 グローデンさんがメンバーとなっているコーリション・オン・ポリティカル・アッサシネーションズは、このプラザで毎年午後12時半に黙祷を行ってきた。しかし、今年はダラス市が実施するイベントのために、それができない。ダラス市の広報担当者は同グループも「他の市民と同じように」抽選に参加することができたはずだと述べた。

 今月、共謀理論を展開する人々は、その代わり、プラザ近くの駐車場で式典を開くことでダラス市と折り合いが付いた。しかし、50周年記念イベントに参加する人々が解散するときには、グローデンさんはディーレイプラザ広場に戻って暗殺についての自身の見方を披露すると誓っている。

 グローデンさんは「ディーレイプラザはいつも1963年のままだ」と話した。 

――Ann Zimmerman








posted by けんちゃん at 18:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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